2021.11.01

うつと共存しながら、今日も私は生きている

皆さん、はじめまして。今年の4月から株式会社ジルベルト アップル事業所で「スタッフ」の一員として働かせていただくことになりましたYuyaです。今回は自己紹介にあたって私が考えてきた自身の「障がい」について話そうと思います。
同じように障がいを抱え、どこか生きづらいと感じている人達がこの記事を読んで障がいに対する関心を持っていただけたら嬉しいです。

この世からいなくなりたいほどうつ病に苦しんだ

 私が抱えている障がいは15人に1人が発症したことがあると答えるくらい認知されるようになった精神障害の1つ「うつ病」です。けれども、私は、最初から「うつ病」だと診断されたわけではありません。
最初の診断では「適応障害 抑うつ状態」だとされていました。しかし、新しい職場でのストレスが原因で最終的には「うつ病」だと診断され、今に至ります。
今思えば、「適応障害 抑うつ状態」の時点で充分な休養期間を設けていれば結果は変っていたのかもしれません。しかし、今更、そんなことを考えてもキリがないので、この話はこれで終わります。
さて、私が抱える症状は体や心に疲れが生じてくると頭の中に自分を否定したり、傷つけたりするような言葉や気持ちが埋め尽くされ、最終的には「この世からいなくなってしまいたい」と自分を追い詰めてしまうものです。その症状が行き過ぎて、最終的には入院にまで至った過去があります。
しかし、幸いなことに今では入院にまで行くようなひどい症状にはなっておりません。その理由は私と向き合い話を聞いてくれる家族や友人の存在が大きいです。
それでも症状が出たときは本当に苦しいです。けれども、周りには自分のことを助けてくれる人達が大勢いることを思い出し、認識しなおすことで症状と向き合っています。自分は決して1人ではない。沢山の仲間がいる。そう思うことで自分を奮い立たせています。

頑張りが空回りして、うつとなり絶望を味わう。

 うつ病を発症したのは大学を卒業して働き始めてからのことでした。当時の私は「1日でも早く即戦力になりたい」「この業界の中で1番になりたい」と思っていました。そこで周囲が求める以上の成果をあげようと必死に仕事をしていました。けれども、私の特性上、向いていない仕事だったということや思い通りに成果を上げられない自分に失望し、自分を追い詰めるようになりました。
結果として自分のことが嫌いになり「こんな自分をこの世から消してしまいたい」と思うようになりました。そして、医師の判断によって仕事をやめ、治療のために入院しました。
入院したときは「落ちる所まで落ちてしまった」と思いました。けれども、入院してからの翌日に見た、日の出の風景を見て「落ちる所まで来たら、後は上がるだけだ」と勇気をもらいました。また、入院する以前は朝が来るのが怖かったのにも関わらず、素直に日の出を美しいと思えたことから、自分の中で何かが変わり始めているのかもしれない、と素直に思いました。

「障がい=悪」からの脱却に成功しつつある現在

 正直な話「うつ病」だと診断されたときは、「人生が終わった」と思うくらい途方に暮れました。
けれども、発症して5年近く経った今となると苦しいこともあったけれど、必ずしも悪いことばかりではなかったと思えるようになりました。自分の中の認知や物の考え方の歪みを知るきっかけとなり、どうすれば楽に生きられるのかを考え、学ぶ良い機会をもらえたのかもしれないと思えるようになりました。まだ、会得できていないこともありますが、焦らずに自分のペースで勝ちとっていきます。

闘病して、うつとは共存可能であることを学んだ

 私自身、現状を顧みて思ったことは「うつ」とは上手く付きあっていこうとする心掛けが大事なのだと思いました。なぜなら「治る」「治らない」といった二択で考えてしまうと心が苦しくなることを5年かけて学んだからです。「うつ」になってしまったことはしょうがない。でも、それは諦めるということではなく、共に歩んでいける存在だと分かったからこそ、付き合っていけると思ったからです。いつか「うつ」にかかったことは私の人生にとって必要な出来事であり、何も後ろめたいことなんてないと胸を張って言えるような人間になります。