2021.11.01

双極性障害という障害を負っての辛い子育て、しかしそれは後に人生の糧に

双極性障害という障害を負っての辛い子育て、しかしそれは後に人生の糧に

何事もなく日々平穏に暮らしている方々、ある時突然障害は発覚します。その時、誰もが愕然とするでしょう。

そして、今まであった日常がガラリと変わります。

双極性障害になる前、私は結婚をし、穏やかで幸せな生活を送っていました。

その後第一子となる娘も産まれ、まさに人生の絶頂ともいえる時期に障害は起きたのです。

その障害は私を苦しめました。しかし今振り返ると、過去の辛い経験があって今がある。

そう思います。決して辛い経験は無駄とならないことを皆さんにお伝えしたいです。

壮絶な出産の後、身も心もボロボロの赤ちゃんとの生活

双極性障害が発覚する前の生活は、赤ちゃんが産まれ、新しい生活を始めたばかりで慌ただしく生活をする日々でした。

出産がかなりしんどかったので、体調が戻るまで時間がかかりました。

そんな中、育児がスタートして身も心もボロボロの状態です。

この壮絶な出産が、後々にトラウマとなって現れました。そちらについては、別の記事に書いていきます。

里帰りしていたので家事を自分の母親に任せていました。「家事をしなくていい」唯一それだけが救いでした。

もともと、赤ちゃんが嫌いという訳ではなかったのですが、どう接すればいいのか分かりませんでした。ただただ、「赤ちゃんが泣いてる」「何で泣いてるの?どうしよう」とばかり考えていました。赤ちゃんが可愛いと思える余裕などなかったことを記憶しています。

友人の両親の不幸がきっかけで、考え過ぎで夜眠れなくなった

双極性障害の症状が現れる前触れはありました。ちょうど実家でテレビをみていた時のことです。

友達の両親のショッキングな事件を見て、顔面が蒼白しました。

「お願いだから人違いであって欲しい」そう願いました。しかし、他の友達から「ニュース見た?」というメールをみて、「やっぱり間違いではないんだ。」と現実に引き戻されました。

その後、「このショッキングな事件が自分の身に起きたらどうしよう。」と思うようになり

心配なあまりその日を境に夜眠れなくなってしまいます。

「眠れないけど、赤ちゃんにおっぱいをあげないと。」ほぼ義務感で過ごしていました。

「眠りたいけど眠れない」「食べるのも喉に通らない」本当に限界の状態です。

そんな状態を見て、医者である姉に「心療内科の先生に見てもらい、薬を処方してもらいなさい。」とアドバイスを受けました。

すがる思いで、姉の紹介する心療内科に行ったのを思い出します。

当時の主治医は「出産直後でホルモンバランスも崩れてる状態の時に、不幸が起きてしまい病気が起きてもおかしくない状態であった。」と分析しています。

そして「抗うつ薬、睡眠薬、等」を処方してもらい、私はようやく眠ることができました。

眠ることができて本当に嬉しかったです。この日から、徐々に日常を取り戻すことができました。

自分が双極性障害であることを友人にも言えない日々

自分が双極性障害であることを大学時代からの親しい友人にさえも言えませんでした。

当時、よく友達とランチに行ってました。1日3回朝、昼、夜と服薬するのですが、抗うつ剤を飲んでるとは言えず、貧血の薬と言っていました。

自分が、双極性障害であることを誰にも気付かれることなく過ごしていたと振り返ります。

障害を受け入れられない日々、それは必要な経験となる

自分が障害を持つことになった時の率直な感想は、ショックでなかなか受け入れることができなかったと記憶しています。

「なんで私が?」とばかり思っていました。自分の障害を負ってしまったことは「なぜか?」とばかり焦点をあてて自分を責めていました。

「もう少し自分が精神的に強かったら、ここまでダメージを受けてなかったのではないか」

そう責め続けていたと当時を振り返ります。

今は、そうではありません。病気を受け入れて「成長した」「強くなった」そう感じています。

「辛い経験がないと、人に寄り添うことができないし、人に優しくなれない」そう思います。

私は1人の女性であると同時に母親です。子供を育てる義務があります。病気の辛い経験は今生きています。人生無駄な経験など1つもありません。

この記事を読んでる皆さん、苦しんでる方もおられるかと思われます。苦しんだ分だけ明るい未来があることを声を大にして言いたいです。