2021.11.01

目に見えない「双極性障害」が私を苦しめた

目に見えない「双極性障害」が私を苦しめた

障害を持つということ。皆さんは、どう考えますか。

障害といっても、知的障害、精神障害、身体障害など障害にも種類があります。

目に見える障害もあれば、目に見えない障害もあるのが特徴です。

私が負っている障害、双極性障害という障害は、目に見えない障害であり精神障害に分類されます。

一見、障害を持ってない人と何も変わらない状態です。

この”障害を持っていない人と一見何も変わらない事”を私を苦しめました。

この記事で、私を苦しめた”障害を持ってない人と何も変わらない事”について触れていきます。

10年かかって「出来ない自分」を受け入れた

双極性障害を持っている自分について、今は特に何とも思ってません。自分の性格の一部であると理解しています。

最初から病気に対して理解があった訳ではありません。最初は、自分の病気が嫌でひた隠しにしてました。

育児をしている自分と周りのお母さん達とを比べて「自分はあれもこれもできない。」と、不器用な自分に苛立ちを覚えたのを記憶しています。

具体的には「言いたい事がうまくまとまらない」「話している途中に意識が飛んだり、集中力が途切れる」などです。

もともと、要領よく話ができる方ではなかったのですが、症状が悪化している感じです。

当然周りのお母さんからは「話聞いてる?」みたいな反応が返ってきて、変な人だと思われないかとても気になりました。

主治医と相談しましたが、はっきりと原因は分からないが薬の影響がないとは言えないと言われました。

しかし時間の経過と共に自分の病気も、病気の特性も理解し、受け入れることができたと感じています。受け入れるまでに、10年という時が必要でした。

双極性障害と診断されて、少し衝撃を受けました

双極性障害と診断されて「え?うつ病と何が違うの?」とまず最初に思いました。

主治医から病気の症状が、うつ状態と躁状態が繰り返し起こる病気だと聞いてもあまりピンときませんでした。

ただ、時間が立って自分の気持ちを整理すると、気分の浮き沈みがあるのは自分でも感じてたので、病気が当てはまってることに理解できるようになりました。

双極性障害と診断された時、聞いたことのない名前で「何か身体に影響があるのか?」ただ不安だったのを覚えています。薬も、治療法も変わると聞いてさらに不安になりました。

もともと、薬を飲むことに対して抵抗があり、飲んだことのない薬を飲むことに不安感が募りました。当時、主治医の言う事は絶対で、病気も受け入れざるを得なかったです。

今も調子が悪いと家事放棄するだめな私

今双極性障害で苦労している事は、うつ状態の自分と家族との過ごし方です。

私は、女性であり母親であります。うつ状態に陥ると全て放棄してしまいます。ベットから寝たきりの状態で起き上がれないのです。

そんな時、一番支えてくれているのは主人です。「しんどいならいいよ。寝てていいよ。」

いつもそう言ってくれます。9歳の娘も風呂掃除をしたりして家事を手伝ってくれます。

そんな家族に、申し訳ない気持ちでいっぱいです。何とか、主治医と相談してうつ状態を減らす工夫をしています。

ある時「病気をひた隠しににする自分のままでいいのか」と気付いたことが思わぬ転機に

障害が発覚してから今までの心境の変化は、時間はかかりましたが障害を受け入れることができたことです。

「10年かかって「出来ない自分」を受け入れた」で少し触れたように、最初は病気を受け入れることができませんでした。娘にすら自分の病気のことについて話してない状態でした。

周りのお母さんと常に比べ、できないことに落胆する日々。

何の障害もないお母さんが羨ましくて仕方なかった。当時、うつ病などの病気を持っている人を、表現が悪いですが「変わった人」だと少し、蔑む扱いでいたのです。

その「変わった人」に自分が該当することが嫌で嫌で

ある時「自分はこのままでいいのか」と気付いたんです。

もともと、超がつくくらいポジィティブな人間で、後ろ向きな考え方とか嫌いなタイプの人でした。できない自分対してマイナス思考でいる状態は、決して前向きな自分ではないことに気がつきました。

そこから少しずつ、前向きに考えていく努力をするように心掛けてみました。

ゆっくりゆっくり現在に至るまで時間をかけて、まず自分の障害を理解することから始めました。気が付いたら「病気について何とも思ってない」状態で、病気を受け入れることができていたのです。

陰で支えてくれている家族のために、この病気に真剣に向き合いたいと考えます。