2021.10.30

僕は障がいと向き合い共に生きることを決意した。その上で大切なこと

僕は障がいと向き合い、共に生きることを決意した。その上で大切なこと

こんにちはSato Shinichiroです。

今回は僕の同僚や親族との関係性を紹介し、一般の方々にとっての障がい者との向き合い方について考えていきたいと思います。

まずは、障がい者認定を受けたことで、生きやすさを感じたことが有るかどうか振り返ってみましょう。

障がい者認定を受けたこと自体に安堵感はある

僕個人の感覚では『精神の病気』とはっきりと診断されたことによる安堵感は、後々の生きやすさに繋がっていると思います。

一方では、障がいを抱えて生きていくことの難しさを身にしみて感じています。働くための配慮はしていただておりますが、「睡眠障がいで、午前中は眠くて仕事になりません」というのは通用しません。

やはり、最低限度の労働力を確保しなければA型では継続的な仕事を任せてもらえないのが現実です。

SDGsが提唱されている中でのことで恐縮ですが、朝のコーヒーと煙草は欠かせません。これっぽっちの習慣で僕の午前中はかなり改善されるのです!!

障がい者認定を受けたことで生きやすくなったと感じる具体例を紹介します。

①国が行う公的な援助(医療費の一部免除)により、通院する上での経済的負担が軽減されて、生活が楽になった。

②公的な余暇支援(福祉乗車証)により、余暇活動での視野が広がって、後でも紹介しますが、行動範囲が随分と自由になりました。

※福祉乗車証とは、神戸市内のほとんどの交通機関を無料で利用できる障がい者のためのサービスです。

それでも働く中で辛かった記憶はまだあるので、紹介させてください。

一生モノの障がいと辛かった過去について

働く上で、下肢の障がいは、やはりデスクワークを行う上での障害になりますし、集中力の欠如の原因になっているのも事実です。僕にとっての最大限の集中力が、他の人のMAXの集中力には及ばないということも承知しています。この状態は入社して以来、6年経っても変わりません。

自分の気持ちとしては、一生モノのハンデとして付き合っていこうと考えています。

ただし、問題を解決する手段も模索しました。仕事中に足を組む許可も貰っているのです。動揺する下肢を組み固めることで集中力は向上します。工夫すればMAXに近づけるはずです。

自分の過去を振り返ってこの6年間で一番辛かったのは、ウェットスーツの製造現場に就労体験をした時のことかもしれません。

かつて、職人になりたいと夢見ていた僕ですが、1週間で日本の技術力のレベルの高さを痛感させられました。加えて接着剤のトルエンの影響か、顔に発疹が出てしまったのです。自分の生産力の低さと精神的な弱さに久々の『挫折感』を覚えたのは記憶にも新しいです。

生活習慣により自分を見つめ直す現在

職場の人や家族には本当に支えられてきました。そして良い影響を受けています。

特に家族は、専門学校を中退し、成人し、英会話スクールや服飾系のスクールを度々早期に挫折した僕を暖かい目で見守ってくれました。

昔は先輩に呑みに連れて行ってもらったり、後輩君と京都や大阪に日帰り旅行に行ったりということもありましたが、最近は1人で神戸市内の拉麺屋巡りをするのが趣味になり始めて、その矢先にCOVID-19(新型コロナウィルス感染症)の緊急事態宣言が起きてしまった、というのが近況です。

習慣ってとても大事ですよね。生活にリズムが生まれる感覚が楽しかったり、外に出て初めて気付く「閉じこもっていた無駄でしかない時間」を、「趣味としての行動」に変えることで、自分の住む街に自分なりに適応できるようになるって素晴らしいことだと思います。

あなたは障がいを持つ人や、あなた自身を守れますか?

『障がい者↔️社会不適合者』とみなされる経験を持ち、困難な人生をおくっている、と感じている人もいるようです。ですが、僕の場合は、ある意味、守られてきた人間だと思っていて、偏見を持たれることもなく、重度の障がいを持っている人とも健常者の人とも普通にコミニュケーションをとって生きてきました。

ただ、同僚の中には常にヘルプマーク(障がい者であることを周囲に知らせて配慮を促すマーク)を身につけている人もいます。それは勇気の要ることです。

いずれにせよ、自分が助けてもらわなければならない範囲に関しては、ちゃんとアピールするべきなのではないかと思います。

もし、周りに障がい者の人がいるのであれば、障がいも含めて「その人を守り続けてあげられるのか」ということを今一度確認してほしいです。

その人にとって、その当事者自身が『社会不適合者』であるのかどうかを決めてしまうのはあなたかもしれません。